札幌地方裁判所 昭和56年(ワ)5026号 判決 1982年1月18日
原告
津沢久美子
被告
藤原忠幸
主文
一 被告らは各自原告に対し、金一〇〇〇万円及び内金九〇〇万円に対する昭和五五年六月一九日からその支払の済むまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
二 訴訟費用は被告らの負担とする。
三 この判決は仮に執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は、主文第一、二項と同旨の判決並びに第一項につき仮執行の宣言を求め、その請求の原因及び抗弁に対する認否として、
1 訴外津沢保夫は次の交通事故(以下「本件事故」という。)によつて死亡した。
(一) 日時 昭和五五年六月一九日午前一時頃
(二) 場所 札幌市豊平区福住三条四丁目路上
(三) 加害車 被告藤原忠幸運転の普通乗用車(札五五に三七四六)
(四) 結果 右道路上を歩行中の保夫は加害車に衝突され、頭蓋底骨折及び脳挫傷を負つて即死した。
2(一) 本件事故は、被告藤原が酒気を帯びながら加害車を運転し、かつ前方注視義務を怠つた過失によつて惹起されたものであるから、同被告は民法第七〇九条により不法行為責任を負う。
(二) 被告堀川徹は加害車を所有し、自己のため運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法(自賠法)第三条により運行供用者責任を負う。
(三) 保夫の過失に関する被告らの主張は否認する。本件事故は専ら、被告藤原が酒気を帯びた上、速度制限を無視して加害車を運転し、更に対向車に気を取られて前方を注視していなかつたという過失に起因するものである。
3 原告が本件事故によつて被つた損害は次の通りである。
(一) 逸失利益 三三一二万八〇四四円
保夫は死亡当時四二歳の健康な男子で、北海ガラスサービスに勤務し、年収二九六万八二五〇円の給与を得ていた。本件事故がなければ六七歳までなお二五年間就労可能であつたから、生活費三〇パーセントを控除した上、新ホフマン方式(係数一五・九四四)で逸失利益を算出すると三三一二万八〇四四円となる。
原告は保夫の長女であり、唯一の相続人であつて、右損害賠償請求権を相続した。
(二) 葬儀費用 七〇万円
原告は昭和五五年六月一九日に保夫の葬儀を行ない、七〇万円を支出した。
(三) 慰藉料 一五〇〇万円
保夫は昭和四二年に原告の母静子と離婚し、原告を引き取つて育ててきたのであるが、その急な事故死によつて原告は失望と悲嘆のどん底に突き落とされた。右精神的苦痛に対する慰藉料としては一五〇〇万円が相当である。
(四) 弁護士費用 一〇〇万円
被告らは任意の支払に応じないので、原告は弁護士黒木俊郎に本訴の提起を依頼し、着手金として三〇万円を支払い、成功報酬として七〇万円を支払う旨を約した。
4 よつて原告は被告らに対し、合計四九八二万八〇四四円の損害賠償請求権を有するところ自賠責保険から二〇〇〇万円を受領したので、残額二九八二万八〇四四円の内金一〇〇〇万円(弁護士費用一〇〇万円を含む)及びこれから弁護士費用を控除した内金九〇〇万円に対する本件事故の日から完済まで民事法定利率年五分の割合による金員の支払を求める。
と述べた。〔証拠関係略〕
被告藤原訴訟代理人は、
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
との判決を求め、請求の原因に対する認否及び抗弁として、
1 第1項は認める。
2(一) 第2項(一)のうち、被告藤原が酒気を帯びて加害車を運転したことは認めるが、その余は否認する。
(二) 本件事故は、深夜酩酊した保夫が突然加害車の直前の車道に進入したために発生したものであつて、被告藤原には過失はない。
仮に同被告に損害賠償義務があるとしても、保夫には右の通りの重大な過失があるから、損害のうち七割は原告が負担すべきである。
3 第3項中、保夫が死亡当時四二歳の男子であつたこと及び原告が弁護士黒木俊郎に本訴の提起を委任したことは認めるが、その余は不知。
4 第4項中、原告が自賠責保険金二〇〇〇万円を受領したことは認めるが、その余は争う。
なお被告藤原は昭和五五年六月、原告に対し、葬儀費用名義で三五万円、香典名義で一〇万円を支払つた。
と述べた。〔証拠関係略〕
被告堀川訴訟代理人は、
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
との判決を求め、原告の請求の原因に対する認否及び抗弁として、
1 第1項は認める。
2 第2項(二)も認める。
但し保夫には深夜左右を注視しないで歩車道の区別のある道路を横断したという著しい過失があるから、その損害額の九割を相殺すべきである。
3 第三項は不知。
と述べ、「甲号各証に対する認否は被告藤原と同一である。」と付陳した。
理由
一 原告が請求の原因第1項で主張する事実、即ち本件事故の存在、態様、結果等については当事者間に争いがない。
二1 被告堀川が本件事故の加害車となつた車両の運行供用者であることについても当事者間に争いがないので、同被告は自賠法第三条の規定によつて本件事故によつて保夫ないし原告が被つた損害を賠償しなければならない。
しかしながらここで被告堀川は本件事故については保夫にも過失があつたと主張し、他方被告藤原は己の過失を否定するので、改めて本件事故の状況を検討してみることを要する。
2 成立にいずれも争いのない甲第三号証の一・二、乙第一号証の一ないし三、同第二号証の一・二、同第三号証、同第四号証、同第五号証の一・二、同第六号証、同第七号証の一・二、同第八号証ないし同第一〇号証によれば、以下の通りの事実が認められる。併せて当裁判所の判断を示す。
(一) 被告藤原は昭和五五年六月一八日、午後七時頃から一一時頃までの間に札幌市内でビール約二本、ウイスキー水割り約三杯を飲んだ後、翌六月一九日午前一時頃、被告堀川運転保有の加害車を運転して帰宅の途につき、本件事故現場にさしかかつた。この時同被告は、呼気一リツトルにつき〇・二五ミリグラム以上のアルコールを身体に保有する状態であつた。
(二) 他方被害者保夫は、右六月一八日午後八時半頃から札幌市豊平区福住の弟邦夫方を尋ね、翌一九日午前〇時頃までの間に二人で日本酒約六合を飲んだ後、「タクシーを拾つて帰る。」と言つて邦夫方を出て、本件事故現場方面へ向つた。
被告藤原は、保夫は本件事故当時酩酊していたと主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。むしろ前記乙第六号証によれば、保夫は本件事故直前に邦夫方を辞す際、邦夫から見て歩行も言語も正常であつたことが認められるから、飲酒によつて保夫の判断・行動の能力が多少低下していたということはあり得るにせよ、酩酊というには程遠い状態であつたと考えられる。
(三) 本件事故現場は、北進すれば国道三六号線に、南進すれば羊ケ丘展望台に至り、車道幅員一三・一メートル(片側二車線)の直線・平坦な道路であつて、北進していた加害車から見て(以下右、左という時にはすべて同じ)左側にのみ歩道が設置されている。歩道上には二〇〇メートル間隔で水銀灯が設置されているがなお夜間は暗く、また歩車道の境には高さ一メートル余の雑草があつて、車道上、歩道上とも見通しは必ずしも良いとはいえない。道路左側は畑、空地の中に住宅が散在し、右側は牧場である。
(四) しかしながら運転者にとつて前方注視を怠らなければ、普通乗用車の前照灯によつて、上向きの場合には、歩道上及び車道上の着衣濃紺の人物(因みに保夫が本件事故当時着ていたのは、青いワイシヤツと茶色のズボンである。)をそれぞれ約四一メートル、及び約四八メートル手前において、前照灯を下向きにした場合でも同様に約三三メートル及び約三八メートル手前で発見することが可能であつた。
右の資料は排気量二六〇〇CC余の中型乗用車を用いた実験によつて得られたものであり、他方加害車は五人乗りでこれよりは小型の乗用車であつたが、ともに普通乗用車の範疇に入るものであつて、前照灯の光度等は車両関係法規の規制するところであり、この程度の車種の相違によつて夜間の見通し状況に有意差が生じることはあり得ず(もしここで差があるならば、小型乗用車の夜間走行はそれ自体が危険ということになろう。)、本件事故時の状況も右と同様であつたと考えられる。
(五) 本件事故現場の道路は毎時五〇キロメートルの速度規制がなされていたが、被告堀川はこれを上回る時速約六〇キロメートルの速度で北進路の歩道寄り車線を走行して本件事故現場にさしかかつたところ、酒気帯び運転で摘発されることを恐れて来合せた対向車を警察のパトロールカーではないかと疑い、これを気にして対向車に注目して自車進路から目をそらせたまま約六五メートル進行したため、再び視線を前方に戻した時に初めて、自車直前の車道上に出ていた保夫を発見したが、何らの手段を取る余裕もないままこれに衝突した。
保夫が何故歩道を降りて車道内へ踏み込んだのか明らかでないが、前述の通り保夫が当時酩酊状態であつたとは認められないことからすると、歩車道の区別を判断し得なかつたものではなく、車道上で強引にタクシーを停めようとしていたものか、或いはタクシーを拾う都合から反対側へ道路を横断しようとしていたものと考えられる。
(六) 保夫は前記衝突によつて一旦加害車のボンネツト上にはね上げられた後に、路上に転落して死亡し、被告藤原は一旦その場に停止したものの、事故の責任を問われることを恐れてそのまま事故現場から逃走した。
3 前記の事実によれば、本件事故は専ら被告藤原が前方注視を怠つたために発生したものであつて、同被告の過失は明白である。本件事故当時、交通量の少ない深夜であつたこと及び道路右側は牧場であることから、自動車運転者にとつて、横断歩行者、殊に左から右への横断歩行者の存在を予見し、予めこれに対応できるような速度で進行するという義務はなかつたといえるかも知れない。しかしながらいかなる場合においても自動車運転者は前方を注視し、この段階で進路上に歩行者を発見した際にこれに即応した措置を取るべき義務を免れる筈はない。本件の場合において、保夫が車道上に入り込んだ時に加害車はどの程度手前であつたのか必ずしも明らかではないが、前記の通り加害車の前照灯が下向きであつても三〇メートル以上手前で歩道上ないし車道上の歩行者を認識し得たのであるから、被告藤原が対向車に気を取られて六〇メートル以上も前方を見ないまま進行するようなことをせず、また毎時五〇キロメートルの速度規制に従つていれば、車道上の保夫を、或いは車道上に出ようとしている保夫を発見し、直ちに減速する等の適切な措置を取つて本件事故を未然に防止し、少なくとも死亡事故は避けられたであろうと考えられるのである。被告藤原が、保夫を発見したのは対向車から視線を戻した直後で、かつ衝突の寸前であつたというのは同被告の容易ならざる過失を十分に物語つていると思われる。
なお成立に争いのない乙第一一号証の二によれば、今回の件につき被告藤原は道路交通法違反(いわゆる轢き逃げ及び酒気帯び運転)のみで起訴され、業務上過失致死罪では起訴されなかつたことが認められるが、右事実から、被告藤原に過失はなかつた、或いはその過失は極めて軽いものであつたと推論するか如きは当裁判所の取らざる所である。従つて被告藤原は民法第七〇九条によつて損害賠償義務を負う。
4 他面しかしながら保夫に全く過失がなかつたとすることはできない。保夫にとつて車道に踏み出すに際し、羊ケ丘展望台方面から被告藤原の加害車両が接近して来ているのは当然認識し得ていた筈である。それにも拘らず敢てその前方を歩こうとしたのはやはりその過失であるとせざるを得ない。而してこれを被告藤原の過失と比較した場合の割合については、同被告の前方不注視という過失か自動車運転者としては致命的なものであること及び車両は歩行者に対して圧倒的に優勢な立場にあることを考慮すれば、保夫の過失は全体の四分の一(二五パーセント)にとどまるものと解するのが相当であろう。
三 進んで保夫及び原告が本件事故によつて被つた損害額について検討する。
1 逸失利益 三三一二万八〇四四円
弁論の全趣旨によつて成立を認めるべき甲第一号証によれば、保夫は本件事故に至るまで北海ガラスサービス株式会社に勤務して年収二九六万八二五〇円を得ていたこと及び保夫は死亡当時四二歳であつたことが認められるから、同人は本件事故がなければ六七歳に至るまでなお二五年間就労可能であつたと考えられる。従つて同人の本件事故による逸失利益は、前記年収額に二五年に対応する新ホフマン係数一五・九四四を乗じ、生活費三〇パーセントを控除すると三三一二万八〇四四円である。
ここで本件記録中の保夫の戸籍謄本によれば、原告は保夫の長女であつて唯一の相続人であることが認められるから、原告は右逸失利益相当分の損害賠償請求権を相続したことになる。
2 葬儀費用 なし
成立に争いのない甲第二号証の二によれば、保夫の葬儀を行なつて葬儀費用を支出したのが原告であるのかどうか疑わしいので、右請求は失当である。
3 慰藉料 一〇〇〇万円
前記戸籍謄本、甲第二号証の二及び証人津沢信夫の証言によれば、原告は保夫の離婚した妻と保夫との間の子であつて、離婚後は保夫が引き取つて養育してきたものであること、昭和五四年夏頃以降本件事故まで保夫・原告の親子は保夫の内妻伊藤恵美子及びその子と共に暮らしていたが、本件事故によつてこの家族はばらばらとなり、原告は叔母竹谷由美子の世話を受けるに至つたことが認められるので、父親を失つて家庭を破壊された原告の精神的苦痛は十分考慮せねばならないところである。しかしながら他方、原告は保夫の唯一の相続人としてその損害賠償請求権の全部を独占していることも併せ考え、慰藉料としては一〇〇〇万円をもつて相当と解する。
4 相殺後の小計 一一九九万六〇三三円
右1及び3を合計すると四三一二万八〇四四円となるが、保夫にも本件事故の発生について二五パーセントの過失があることからその二五パーセントを相殺すべく、残額は三二三四万六〇三三円となる。
ここで原告が自賠責保険金二〇〇〇万円を受領したことは原告の自陳するところであり、また被告藤原が原告に対し、葬儀費用名下に三五万円を支払つたことは原告において明らかに争わないと認められるので、これを自白したものとみなすべく、これらの金額を控除した損害賠償金残額は結局一一九九万六〇三三円である。
なおこの他に被告藤原は、原告に対し、香典として一〇万円を支払つたと主張するが、香典は損害の賠償たるものではないと考えられるので、右部分は採用しない。
5 弁護士費用 一〇〇万円
原告が本件訴訟の提起・追行を弁護士黒木俊郎に委任したことは本件記録によつて明らかであるところ、弁護士費用としては、右損害賠償金残額及びその他弁論に表われた諸事情を考慮して、その請求通り一〇〇万円をもつて本件事故と相当因果関係を有する原告の損害と認める。
四 以上の事実及び判断によれば、前記損害賠償金の内金一〇〇〇万円(弁護士費用一〇〇万円を含む)及び弁護士費用を控除した九〇〇万円について本件事故の日である昭和五五年六月一九日からその支払の済むまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告の本訴請求には理由があるからこれを正当として認容し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九三条を、仮執行の宣言については同法第一九六条を適用して、主文の通り判決した次第である。
(裁判官 西野喜一)